第26回信州岩波講座2024

目的

 人間は、文学を学び、文字に親しみ活用することで、人間らしい豊かな情操や想像力を育んできた。しかし、今日「活字離れ」といわれる時代状況の中で、人間が人間らしい思考力や情緒性、判断力を衰退させているのではないか、と危惧される。

 それ故、私たちは、目的の第一に、活字文化のさらなる活性化と擁護を掲げる。

 第二は、須坂市民を中心とする地域社会の日常にしっかり根ざした文化活用として取り組んでいく。

 (信州岩波講座基本計画〔目的〕より)

信州岩波講座基本計画書

1999年4月
岩波講座実行委員会

前文

 須坂の地は、古くから北國脇住環松代通り(別称、谷街道又は北國裏街道)と菅平高原を経由する群馬方面からの大笹街道の要衝として栄え、近代に至ってその蓄積された富を元手に製糸産業が勃興した。戦後は通信機製造業が盛んであった。  
 教育文化面では、明治、大正期から中等教育の普及、戦後の公民館活動の活力によって小粒ではあるが種は既に蒔かれており、土壌は涵養されている。名もない草の種は土の中に無数に眠っているが、一定の条件を満たされないと発芽しない。その条件は、気温であり、陽の光であり、水でありいろいろあるだろう。いまその条件づくりの火付け役が求められている。
 ウィーンを、音楽の都たらしめているのは、音楽を学んだ人たちが普通の市民生活の中で、音楽を楽しんでいることが楽都として名声を不動のものとしているという。
 須坂では時あたかも「ブックランド」構想がある。本を作って、保管していただけでは”仏作って魂入れず”になってしまう。ウィーンのように、市民がその生活のごく自然な一部分として読書(会)や講座、あるいは公開討論などを根づかせることが出来たならどんなにか素晴らしいだろう。
 須坂市が現在進めている江戸時代からの400軒を越す県下屈指の土蔵屋敷の保存やメセナホールを中心とした文化拠点づくりの中に「信州岩波講座」が位置することによってその町づくりは一層しっかりした哲学をもつと言えるのではないだろうか。
 一方、活字文化の危機が言われて久しい。本が読まれないという。とくに若者の活字離れは深刻である。例えば、岩波新書は、1970年代半ばまでは読書の半分は大学生だったという。それがいまは1割程度でしかない。日本社会全体をみても70年代半ばから、一般社会に若者の読者人口は激減していく。そして、本を読まなくなった層が今日、社会の中枢になろうとしている。
 「人間は考える葦」とは哲学者パスカルの言である。人は長い間、字を読み、書くことによって人間形成をしてきた。人が本を読む力を失うとき、考える力も失うのではないか。読書力の衰えが思考力の劣化を招くとすれば、まさに「人間」が変わる。人間の文化が変わる。最近、頻発する子どもたちの言語を絶する非行は、そのような背景の”負の表れ”ではないだろうか。

 岩波書店は1913(大正2)年の創業以来一貫して、学術・文化の総合出版社として、その歩みを続けている。1927(昭和2)年に古典の普及をめざして岩波文庫を創刊し、1938(昭和13)年には前年に始まった日中戦争とその時流に抗して岩波新書の刊行を開始した。また、第二次世界大戦における日本の敗戦を天譴とし、再び戦争をしないという国民意識の形成のために、雑誌「世界」を創刊した。岩波書店は学術文化の振興と社会進歩の志をかかげ、今日ますます出版の本道を歩もうとしている。

 信濃毎日新聞は、長野県民の主読紙として125年余の歴史の中でたえず地域社会の文化と産業の興隆に役割を担ってきた。岩波書店の創業者岩波茂雄が長野県出身でもあることから、両社は長く深い友誼の絆で結ばれている。近時、故安江良介岩波書店前社長は6年間に亙って「今日の視角」にレギュラー執筆者として健筆をふるい、講演会や出版活動でも特別な関係を築いてきた。
 また、信濃毎日新聞社は新聞社の諸機能を駆使して、県民の文化的要求、スポーツ振興等に特別の貢献を惜しまなかった。

 われわれは間もなく誰しも新しい世紀のスタート台に立つ。21世紀はどのような世紀になるのか。いかなる世紀にしなければならないか。われわれの前におかれた課題は極めて大きい。より広く、より深く考えることによって、よりよい実践をなし得たい。これがこの講座にこめられたわれわれの思いである。

 「信州岩波講座」は、須坂市、岩波書店、信濃毎日新聞社の三者の枠組みを基礎に【市民】が主体となって構築されることが必須の条件である。21世紀に須坂市が、真に市民文化の花開く町になっていくことがわれわれの共通の願いである。「信州岩波講座」が、その為の地平を拓く役割を担うことができれば、蒔かれた種は必ずや芽吹くであろうと確信する。
 その役割は、自主的な市民ボランティアグループ(ふおらむ集団999)によって担われる。

以上
1999年4月3日

1999年宣言

信州岩波講座/ふおらむ集団999

 明治建国の先駆者坂本龍馬は、幼時より郷土土佐の地から海原はるかに広がる太平洋を眺め、国の行く末を考えたという。
 21世紀が間もなく始まろうとしているいま、この国は改めて開明が求められているように思える。政治が国民の信頼を失って久しい。教育がまったく方向性を見失っている。強いといわれてきた経済までも”おごれる者はひさしからず”の 譬えに違わず失速した。その結果、国民のモラルは地に堕ち、子どもたちの社会的諸事件や教育現場の混乱が日増しに増加している。いまこそ、文化の質が問われている。文化が「力」となることが求められている。
 山国信州は、水平線をみることはできない。地平線さえも想像の彼方である。しかし、この大地にしっかり自分の足で立てば彼方の地平が眼前に拡がることを知る。市民が、一人ひとり自立した意志をもって文化を日常のものとしたとき、この国の未来もまた再び拓けるものと信ずる。
 私たちボランティアグループ「信州岩波講座/ふおらむ集団999」は、市民的知性即ち市民のモラルの地平を拓くための地下水の役割を担う。古い歴史と市民文化の伝統をもち、いまもそれを守り育んでいる信州須坂で私たちは信州岩波講座の旗を掲げ、1999年より出発する。
 故安江良介岩波書店前社長は、1995年松本市での「大江健三郎講演会」の前段の講演の中で、『私たちは、いま大変な時代に生きている。21世紀の人類の課題は、1)地球問題、2)問われる国家の枠組み、3)最も深刻なのは科学技術の無限の発達。』と警世の言葉を遺している。
 私たちの思いはここから出発している。この言葉の重みを背負いながら有識者の知恵を市民に開放・交流し、もって市民の行動と思考の礎となることを願うものである。
 須坂から始まったこのともしびが、やがて各地に点火して燎原の火の勢いを得るならば、確実にこの国の市民文化は、その地平に創造的時代を築くことができるだろう。

以上
1999年4月3日